ナントの町から、フラメンコ舞踊家“銀翼のカモメさん”からのお国便り。



セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。

第二十九話
サトウキビは、Boite Bleue (ボワット・ブルー = 青い箱)で白くなる
**前編**

2008.10
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(序編から続く)
さて、東京京橋で、偶然『カイロのマーケット報告』を紐解く幸運に恵まれ、初めて、Beghin Say(ベガン・セ)という商標と出会ってから、7- 8年が経ち、いろいろな紆余曲折の末に、西フランスのナントまで流れてきた私は、ここでいきなり、Beghin Sayの大看板と再会した。それも、かなり派手な青と白で塗りたてられた、巨大な建造物に踊るように描かれたBeghin Say だった。その頃、夫の車は、Citroen(シトロエン)の74年型Ami 8(アミ・ユイット)で、円(まろ)やかな空色(有名な童話 = そらいろのたね、に出てくる種に似ている空色)をしていた。その時代、すでに、かなりクラシック・カーっぽかったその車を、彼は、アミ・ユイット・ブルットと呼んで、大事にデリケートに運転していた。出来るだけ車に負担がかからないように、エンジンの音をよく聞きながら、クラッチを踏み込み、追い越すときは、前の車に吸い込まれるようにしながら、さっと左車線に出る、という感じで、滑らかな、車に優しい運転を心がけていた。そのアミ・ユイットで、当時、彼が住んでいた、ボーリュー島を走っているうちに、Beghin Sayと出っくわしたのである。「Beghin Say って、あの、お砂糖の?」と訊いたら、「たぶんね!」という無責任な答えが返ってきた。「たぶんって、だって有名なんじゃないの?」「有名?そう?へーえ!」だって。私は、かつて京橋で読んだレポートのBeghin Sayを、こんなところで偶然見つけたことで、個人的にはかなりエキサイトしていたのに、彼は、毎日、その前を通っていたから、どうも思っていなかったのである。その、感情の温度差は、かなり激しくて、私の上昇気流を、いっぺんに冷却し、もし、その気流に乗せて気球でも上げていたら、あっと言う間に、ぺしゃんこに萎(しぼ)んで落ちてきてしまっただろう、と思われるほどだった。結局、それっきり私は、Beghin Sayというものに、特別な感情を抱かなくなってしまった。というか、自分だけが持っている、特殊な感情を丁寧にしまい込んだ、という感じ、だろうか?

逆に、フランス人の夫が日本に来始めた頃、どういう場合に、こういうシチュエーションが起こっただろう?、と考えてみた。たとえば、毎日、自分の好きな曲を、愛用のオーディオで、熱心に聴いている彼が、ある夕刻、御茶ノ水の橋を渡った。そして、秋葉原が、すぐそこだと知らないまま、何となく川下に目をやると、いろいろなメーカーのネオンサインが、夕暮れのブルーの中で、次第に華やいでいくのに、目を惹かれる。そしていきなり、自分のオーディオのメーカー名が、点滅しているのを見つける。「あれ、僕のオーディオだ!」と叫んだりする。しかし、東京人の私は、「だって、あそこ秋葉原だもん。あたりまえじゃん!」と、すっかり醒めている。すると、「あれが、有名な秋葉原なの?すぐそこじゃない!!」と、さらに驚いている。といった、まあ、こんなものだろうか?いずれにしても、こんな風に、私のBeghin Sayとの再会は、不発の花火のように萎んだ気球となり、しかし、萎んだまま、何となく、私の奥のほうで、もう1度、膨らむことの出来る機会を、沸々と待っていたようだった。

その気球が、もう1度膨らみ始める発端は、19 − 22話のパンブフ探訪だった。そして、大西洋を渡ってナントに陸揚げされた、新大陸の物産に関心を持っているうちに、タイムリーなナント再開発で、バナナの倉庫を発見し、その周辺を縦横に走りぬける引込み線の線路を伝うように、ボーリュー島を行ったり来たりしているうちに、「これはやっぱり、Beghin Sayを知ってみなくては・・・!」という気持ちが、むらむらと湧き上がってきたのである。昔、OLをやっていた頃、何となく読んで、何だか面白かったヨーロッパ甘味料市場の話の雰囲気が、もう1度思い出されてきた。そういえば、”CORRIERE DELLA SERA”(コリエーレ・デ・ラ・セラ)というイタリアの新聞記事もあった。アミノ酸から作る、合成甘味料の話だった。今度こそ、植民地で黒人奴隷が収穫したサトウキビから、どんな風にBeghin Sayなる大規模多国籍企業が出来上がっていったのか、知ってみなくては、と思ったのである。そう思い立ってみると、人間の五感というのは面白く、Beghin Sayばかりが目に付くようになる。実際、これほど大きな建造物だし、派手やかで単純な色彩だし、平らなボーリュー島にいれば、だいたい、どこからでも目に入ってくる存在なのだが・・・。それにしても、橋の上から、貨物の駅から、河岸の端っこから、そして、Navibus(ナヴィビュス)という水上バスに乗っても、このBoite Bleue(ボワット・ブルー)は、周囲の景色を切り裂くような、爽やかな鋭さで、視界の中央に飛び込んでくる。晴天の空よりも華やかに青く、真夏の地中海よりシンプルに青い、このBoite(ボワット)のブルーは、薄墨を流したような、朝靄の水滴にも混ざらず、真夏の午下がりに降り注ぐ陽光にも負けず、夜の帳(とばり)の降りはじめる、ブルー・グレーな空気の中でも、融けてしまわない。いつも、自らの足元に跪(ひざまづ)く、あらゆるオブジェを見下ろしながら、それらと異なる次元の中に存在しているかのように、意志の強い特殊なブルーで、ボーリュー島に立っている。佇(たたず)み、立ち尽くし、君臨している。

ある晴れた日、(オペラ『蝶々婦人』、のようだが)、私達は、いつものように、Peugeot(プジョー)の真っ赤な205Junior(ドゥー・サン・サンク・ジュニア)に乗って、ボーリュー島に赴いた。今回は勿論、意欲的に、Beghin Sayを知ってみるために!で、何となく、このBoiteの周囲を走っているうちに、車は、おもむろに進路を変え、何と、Beghin Sayの裏口に向かった。白い門は開いている。しかし、・・・?「あれっ!」と思ううちに、車は、スルスルと敷地内に入っていってしまった。でも、誰もいない。日曜日だから?半信半疑の私の心配をよそに、車は進んで行く。「ねえ、入っちゃって大丈夫?これ、工場の敷地なんでしょう?」「駄目だったら、入れないんじゃない!」そういう論理もあるのか!と、感心。それにしても、本当に、ひんやりと静まり返っている。そして、ここにも引込み線が、力強く、意味ありげに走っていた。その、目的地に向かって伸びる金属の、強い確実さに、精糖業界を勝ち抜いて生き残ってきた、Beghin Sayの強(したた)かさが、鈍く光っているようだった。建物は、全体に青と白なので、工場の裏手にあたるこの辺も、白い壁に、大きな扉が、派手な空色で塗られていたりする。煙突まで、青と白で、高々と塗り上げられ、ちょうど、いいお天気だったので、ギリシャ風な色彩が、明るい太陽と遊んでいた。工場の建物なのに、屈託のない空気がはちきれ、チュニジアの漁港に積み上げられていた、イカ釣りの壺のように、あっけらかんとしていた。これが、この青と白のなせる、色彩効果なのだろうか?で、「入って大丈夫?」という懸念を、すっかり忘れちゃってもいい感じがしてきたのである。で、折角ここまで来たのだから、忘れてみようか?と思い(こういう風に、ラテン系の人は、細かいことを気にしないのだろうか?)、とりあえず、この精糖史上に輝く会社の、裏庭的空間の雰囲気を、感じてみることにした。心の奥のほうでは、「滅多に、入れるものではないだろうし・・・。」と、ちょっと得した感じを抱きながら…。

とりあえず、進退を決めて落ち着いて眺めてみると、そこは、本当に平らで広かった。大きな土地を占有したものである。しかも、その土地に、粗大ゴミみたいな金属の塊が、漠然と転がっていた。大きな直径の管や、地面を均(なら)す時に使うローラーが、恐ろしいほど錆びて、真っ赤になっている。コンテナや、水のタンクみたいなものも、ただ積んである・・・。コンテナは、貨車に載って、引込み線で入ってきたのだろうか?面白いのは、タンクも、コンテナも、パレット(フォークリフト用の荷物台)まで、同じような青で塗られていたりすることだった。ペンキが余ったのだろうか?これだけのヴォリュームを塗るには、相当な量のペンキを買ったのだろうし・・・。それとも、この青が目印で、どんな器材も、Beghin Say用、ということになっているのかもしれない。意味もなく横たわる、これらの大きな物体は、歴史のエアー・ポケットの中に置き去りにされた、巨大な忘れ物のようだった。こんなものが転がっているということは、この工場は、もう稼動していないのだろうか?と思ったが、よく見ると、煙が出ている。ということは、やっぱり、ここで精糖しているのだろう。それにしても、シンと静まり返っている。

こんな風に、あっちこっち眺めながら、青と白の歴史空間にいるうちに、私達も、青と白に塗られてしまったような感じがしてきた。それほど、強い個性のブルーなのだ。しかし何故か、ずっと居ても、飽きないブルーだった。精糖史の、さまざまな節目で、ありとあらゆる策を講じてきたに違いない、この巨大な企業のイメージ・カラーは、ちょっとやそっとで飽きが来るほど、単純なものではないのかもしれない。見れば見るほど、何かを知りたくなってくる感じの、不思議なブルーだった。当初、この空間に入り込んだ時に思った、〈すっきりシンプル〉なブルーではなさそうだ。そんな、少し奥深い印象を抱きながら、私達は、再び、205に乗り、入口の白い門まで引き返した。門を出ると、日曜の午下がりは、相変わらず静かで、9月の太陽はまだ、充分に高かった。ほんの15分程、Beghin Sayの裏庭に紛れ込んだだけなのに、随分、時間が経っている感じがした。あの、引込み線の磨り減った鉛色が、私達をタイム・トラベルさせていたのだろうか?古い映画を見終わって、映画館を出てきた時のように、外の光が、妙に眩しかった。しかし、私達は、映画の予告編を見ただけだった。やっぱり、本編を見に行かなくては・・・。ということで、Beghin Sayの社史を調べてみることになったのである。
(中編に続く)

(octobre 2008)
満帆(まんぱん)の マストを染めて 西陽(にしび)燃ゆ
水平線に 野心夕艶(ゆうえん)
カモメ詠

(『夕艶』は、夕陽を浴びたオブジェが、
赤い艶を帯びてくる様子を表現したい、と思って作った自製の言葉)

シトロエンの74年型Ami 8 とは、こういう車。車体が長いので、中はゆったり。1994年には、スペインのマドリッドまで、この車で出かけた。サスペンションも硬いし、冷房も勿論ないが、何だか、やさしくて、心温まる、いい車だった。古き良き時代の最後みたいな車の一つだと、私達は思っている。




<青い箱>と言われる、Beghin Sayの大きな建物。地中海系の明るいブルーが、真っ白に、よく映えている。そこに、大きく書かれた《Beghin Say》が、大看板のようになっている。





Pont des 3 Continents (3大陸橋)から臨む、Beghin Say。





Gare de l'Etat (直訳すると、<国の駅>になってしまう)から見える、Beghin Say。この駅は、ボーリュー島にある、古い国鉄の駅。かつては、乗降客の行き交う駅だったが、今は、貨物の駅になっていて、駅舎は、社会主義の組合事務所になっている。(c.f.第24話 《バナナはアンティーユ河岸で熟す》 前編)





ロワール川の Quai de la Fosse (フォッス河岸)にある、Gare Maritime (船着場)と、対岸の地域 Trentemoult(トロントムー)を結ぶ、Navibus (市営の渡し舟)から見た、Beghin Say。巨大なグレーのクレーンが立っているのが、ボーリュー島最西端。その左側にある、平らな建物が、バナナの倉庫。クレーンの足元右手に、小さく、煙突のある<青い箱>が見える。





Beghin Sayの工場敷地内部にある、裏庭。大きな水のタンクやコンテナも、木製の荷台(パレット)も<青い箱>と同じブルーで、たっぷりと塗られていた。












敷地内を走る引込み線。今はもう、使われていない。





真っ白く塗られたコンクリートの建物。車庫の扉、入口など、金属の部分は、やっぱり、あの、たっぷりとしたブルーで塗られている。そして、窓ガラスには、晴天の青空が映って、ギリシャ風の、青くて白いコンポジションを完成させていた。




チュニジア南部、ザルジスの漁港に積み上げられた、白いイカ壺。この白さ、この積み上げ方に似たものが、Beghin Sayの裏庭に、その歴史の重さとともに、しかし、明るく堆積しているように感じた。






<青い箱>の敷地の隣に残っている、製氷工場の建物。この、コンクリートの塊の前を、Beghin Sayに入っていく、引込み線の線路が走っている。アンティーユ河岸に陸揚げされたサトウキビを、日夜、運び続けた線路なのだろうか?




製氷工場の後ろに見え隠れする、<青い箱>。鮮やか過ぎるまでの、青と白のコントラストは、平らで、だだっ広いボーリュー島のそこここで垣間見られる。よく晴れた日、ボーリュー島のあちこちから、Beghin Sayの大きな箱が、視界から飛び込んで来る、 それぞれの瞬間に、よく冷えた炭酸飲料の栓を抜いたときのような、清涼感が、全身を駆け抜ける。「シュワーッ」という感じ。


アクセス
- Paris - Monparnasse (パリ・モンパルナス)駅から、TGV Atlantique のLe Croisic (ル・クロワジック) 方面行きに乗り、Nantes (ナント)下車。(約2時間)
- ナント駅北口で、トラムウェイ1番線 Francois MITTERAND (フランソワ・ミッテラン) 方面に乗り、Place du Commerce(コマース広場)下車。ナント駅から、3つ目の停留所。
- コマース広場で、市バス42番 Vertou (ヴェルトゥー)行き、あるいは、52番 Hotel de Region (地方庁) 行きに乗って、Gustave Roch (ギュスターヴ・ロッシュ)で、降りる。 コマース広場から、3つ目。2つ目の停留所で、すでにボーリュー島に入っている。 停留所の近くが、Beghin Say.
- ここから、Boulevard Gustave Roch (ギュスターヴ・ロッシュ通り)をPont des 3 Continents (3大陸橋)まで歩き、そこから、Quai President Wilson (プレジデント・ウィルソン河岸)を、グレーのクレーンまで行けば、Hangar a Bananes (バナナの倉庫)のあるQuai des Antilles (アンティーユ河岸)に着く。が、ものすごく遠い。
- ボーリュー島の中は、漠然と広いので、歩くのは大変!市営のパーキングに貸し自転車があるので、それも1案。コマース広場に隣接したフェイドー島地区に、トゥーリストオフィスがあるので、まず、そこに行ってみるのがお勧め。最近は、市のあちこちにオレンジ色の貸し自転車があって、便利そうな気がするが、これは、1年間の会員にならないと借りられないらしい。
- Quai de la Fosse (フォッス河岸)と、Trentemoult (トロントムー) を繋ぐNavibus (ナヴィバス = 水上バス)に乗るなら、トラムウェイで、コマース広場から3つ先の、Gare Maritime (ギャール・マリティム) で降りれば、目の前が、乗船所になっている。

銀翼のカモメさんは、フラメンコ音楽情報サイト「アクースティカ」でもエッセイ連載中
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