回顧談で恐縮だが、スタンダード仏和辞典の改訂作業チ―ムにくわわっていたころの裏話からはじめよう。これはいま書店に出ている新スタンダード仏和辞典の先代にあたる古典で、1957年、私がまだ学部の学生の頃に初版が出るや大ヒットした。独特の黄色の表紙をおぼえている読者は年配者にかぎられよう。その後、1978年にクラウン仏和辞典が発売されるまで実に20年間、仏語教育界を独占的に支配した。仲間意識や手前味噌でなく、今日の日仏交流の隆盛はこの辞書の存在なしにはなかったといってもよかろう。とはいえ、なにぶん編纂が終戦直後におこなわれたので、第二次大戦中の鎖国時代(当時の日本はナチス・ドイツ、イタリアとの三国協定の一角を占めたばかりか、大和魂の価値を賛美し西洋の軟派文化を排する風潮がつよかったから、仏語・仏文化はことさら敵視され、忌み嫌われたのだ)のあおりを受け、不備な点がないとはいえなかった。
camion à benne basculante
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たとえば、benneという項をひくと、「荷籠、負籠」などと訳語がつづいた末尾に、合成語として[camion à] benne basculanteがあげてあるのはいいが、訳語が「傾けて物を落す車」としか出ていない。編者のあいだに実物を知るものが皆無だったという時代相が透けてみえるのである。改訂版で「ダンプカー」に改められたのはやむをえなかった。
さて、改訂の際、版元の大修館書店に在日の仏人から投書があり、encoreの項に「アンコール!」とあるのはおかしい、削除せよという注文である。なるほど、日本の演奏会場では「アンコール!」というから、初版では何の気なしに元はフランス語だと早合点してしまったのだろう。しかし、調べてみれば、フランス人はそういう時Bis! (ラテン語で「二度」の意)としかいわない。むしろEncore! というフランス語を使うのはイギリス人なのであった。ややこしい話だが、日本人の使うEncore!は、発音の仕方はともかく、英単語の一つとして日本語にはいってきた、ということになる。私たちは-----なかには「パリの会場で“アンコール!”の声を耳にした覚えがある。べつに訂正するにはおよばない」と強弁する意見もあったが、それは日本人かアングロサクソン系の滞在客だったにちがいない、という結論に達した-----修正要求に応じた。この貴重な体験はまたたくまに辞書関係者に周知徹底され、現行の仏和辞典のなかには「日本語の<アンコール>はbisという」とわざわざ注記しているものさえあることを付記しておこう。
以上は英語とフランス語のすれ違い、というより、日本人の早トチリといったほうがいいのかもしれないが、「マロニエ」も同じようなケースである。パリというとmarronnierの並木を連想し、それと路傍のmarchand de marrons「焼き栗屋」やらお菓子のmarrons glacés「マロングラッセ」とを直結させる人が多い。しかし、パリ在住の方はご承知のとおり、「マロニエ」の木になるmarronは食用にはならない。食べられるのはchataignierの実chataigneで、これこそが日本の栗に相当する。英国の人たちはこのへんの事情を十分わきまえているとみえて、食べられるのをchestnut(木も同名)とし、食べられないmarron (marron d’Indeともいう)は horse chestnutとして、区別する。後者は馬しか食わない、というほどの意味だろう。
馬が出てきたついでにいうと、馬にかけてはフランスもイギリスには負けていない。競馬ひとつとっても、ロンシャン競馬場はもちろん、シャンテイイの広大さは厩舎だけでも私たちを圧倒せずにはいない。ところで、horseにあたるフランス語はむろんchevalだが、両者の関係はかならずしもイコールとはいえない。本稿をしめくくるにあたり、その点を強調しておくとしよう。たとえば、大食いのことを英語ではto eat like a horse「馬のように食べる」(日本語の「馬食」に通じる?)というのに対し、フランス語ではmanger comme quatre(comme un loup) 「四人分も(オオカミみたいに)食べる」という。海峡の荒立つ海面を見て、英語ではwhite horses「白馬のような波頭」というのに対し、対岸のフランスではLa mer moutonne.「海が羊のような白波を立てている」という。horseはすなわちchevalだが、それぞれの国語における意味範囲は上記のようにズレている。今回はこのことをひとつの典型として記憶にとどめておくところまでにしよう。
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