パリのノートルダム寺院
東京都庁
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フランス語copie と英語copyでは、語尾が違うけれど、それは聖母マリアがフランス語ではVierge Marie、英語ではVirgin Maryであるのと同じで、そこには差がないにひとしい。
使い方もそっくりだ。
une copie de Monet / a copy of Monet とあれば、「モネの複製画」である。
L'Hôtel de Ville de Tokyo n'est qu'une copie de la Notre-Dame de Paris.
The City-Hall of Tokyo is only a copy of Notre-Dame de Paris.
を訳せば、「東京都庁はパリのノートルダム寺院の敷き写しにすぎない」となる。
むしろ気になるのは、これらの場合、訳語が「コピー」ではなく、「複製」「敷き写し」になることだ。国語辞典(集英社)をみると、「コピー」の項には「①写し、複写、複製」とあるにはあるが、日常的に「コピー」というとき、わたしたちはほとんど仏・英語のphotocopie (photocopy) 「写真複写」の意味でつかっているのではあるまいか。つまり、日本語の「コピー」は今ではごく狭く、機械による複写の意味でつかわれるようになり、その分、「写し」という原義があいまいになっているのではないか。
いつか大学の試験のさいカンニング・ペーパーを見つけたので当の学生を詰問したところ、「他の人のように、コピー機で作ったのではなく、自分の手でちゃんと写したのだから、ごっちゃにしないでくれ」と逆に食ってかかられたことを思いだす。複写機を介しようと、手書きであろうと、所詮「写し」を答案に写す、という行為の犯罪性にかわりがあろうはずはないのに、当人は「手で書き写す」という労力負担のところにだけ力点をおいて、犯罪性をうすめようとしたのだ。日本では、つい最近あるテレビ局の公式コラムでの盗作が話題になったが、人の作品を「写す」「コピーする」ことに罪の意識がない点では共通する。この傾向が社会の各方面にひろまって、とうとう本職のジャーナリストにまで行きついたということか。そういえば、先刻の都庁…の文はこれを見た仏人観光客の感想だが、あれはさきごろ亡くなった高名な建築家の代表作である。それにまでそういう評価がくだされるということをどう考えたものだろう。人のアイデアを盗む、のは日本人の国民性だとして劣等感にとりつかれるのが正しいのか、それともフランス人一流の中華思想の現れとみて、あっさり無視すればすむのか。
ところで、国語辞典の定義のつづき。「②広告の宣伝文句」とある。たしかにコピーライターとうのは、ある職業を指す日本語として完全に定着したように思われる。これはcopywrighterという英語からできたカタカナ語の代表格だが、フランス語では何というのか。rédacteur(trice) publicitaire である。ついでにいうと、「宣伝文句」の意味の「コピー」はtexte publicitaireで、このあたりでは英語とフランス語のズレがきわだってくる。
En période d'examens, j'ai toujours des centaines de copies à corriger.
「試験期間になると、いつも採点すべき答案を何百枚も抱えることになる。」
これに対応する英文は
At exam time I always have hundreds of papers to correct.
であって、copie = paper ということになる。また同じ学校用語でも、フランス語ではcopie = devoir という場合もあるから、copie = homework でもある。
パリの市庁舎 L'Hôtel de Ville |
ついでにいうと、全体としてみれば、英語のcopy の方が使い道がひろい。2例だけあげておく。
- The scandal will make good copy.
Le scandale fera un bon sujet d'article.
「その醜聞は恰好の新聞種になるだろう」
- I send you a copy of my latest novel.
Je vous envoie un exemplaire de mon dernier roman.
「わたしの小説の最新作を一部お送りします」
1.copy = article 2.copy = exemplaire という対応関係に注意してほしい。
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