朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
7月14日 2008.7エッセイ・リストbacknext
 日付dateをあらわす言い方の復習からはじめよう。フランス語ではle + 基数詞(1日だけ1er)、英語では序数詞が使われる。
 「今日は何日ですか?」という意味の標準的な疑問文は次のとおり。
 Le combien sommes-nous aujourd’hui?
What’s the date today ?
 これに対する答が「10日木曜日です」なら
 Nous sommes le jeudi 10 .
It’s July 10th(the tenth of July).
 月の名も曜日の名もフランス語では大文字を用いないことに注意しよう。
 

バスチーユ広場のランドマーク



地下鉄バスチーユ駅ホーム
そこで、アメリカ合衆国の独立記念日fête de l’Indépendance ,Independence Day
7月4日はle 4 juillet, July the 4th( the fourth of July)となる。労働者の祭日fête du Travail 5月1日はle 1er mai, May the first。日本では英語にならってメーデーMay Dayと言い慣わされているが、フランスでは日付そのままle Premier maiと呼ばれ、1947年以降は祝日jour fériéになっている。
 祝日のなかでもfête nationale「国の祝日、国祭日」として特別扱いされるのがフランスではle Quatorze Juillet、これまた日付そのものが祝日の呼称になっているが、元を質せば、1789年7月14日のprise de la Bastille「バスチーユ奪取」(これがフランス大革命の発端となり、200年続いたブルボン王朝が倒されたことはよく知られている)と、1年後の1790年の同じ日に祝われたfête de la Fédération「連盟祭」とに因んでいる。大革命では抑圧からの解放を勝ちとるのに多くの人命が失われたことはいうまでもない。1年後の祝典にしても外敵に対する国民の結束を求める趣旨だったけれど、歴史的に見れば、やがて国王処刑にはじまる恐怖政治への転換点にすぎなかった。日本ではRené Clair監督の映画Quatorze Juillet を「パリ祭」と訳したことから、この祝日はもっぱら「パリ祭」という甘いイメージで親しまれているが、日本人のあいだの勝手な思い込みにすぎない。わたしたちとしても、大革命の裏面は血みどろの殺し合いだったことを忘れてはならないのである。
 むろん、日本にも日付と事件を直結させる習慣がないわけではない。まだ記憶に新しい「九・一一」がそれだ。いうまでもなく2001年9月11日ニューヨークの世界貿易センタービルが爆破されたテロ事件を指す。フランスではle 11 septembre、略して11/9(英語では9/11)といえば、例の事件のことになる。日本史に例を求めれば、「二・二六事件」がある。1936年2月26日、陸軍の将校らが当時の内大臣斎藤実・蔵相高橋是清・教育総監渡辺錠太郎らを殺傷した上、永田町一帯を占拠したテロ事件である。
 ただ、フランスの方が日付をévénement mémorable「忘れがたい出来事」の指標にする傾向がつよいように思われる。たとえば、11月11日といわれてもわたしたち日本人にはピンとこないが、le Onze novembreは第一次世界大戦の休戦記念日anniversaire(fête) de l’Armistice(英語ではArmistice Day)で、フランスでは歴とした休日である。地方を旅すれば、各地に大きなmonuments aux morts「慰霊碑、忠魂碑」が建てられていることに気づく。モニュメントの大きさはそのまま第一次大戦が住民に与えた衝撃の大きさ(しばしば第二次大戦のそれを凌いでいる感じだ)を物語っているのである。この11月11日はそれぞれの土地から出征し、祖国のために命を捧げた英霊たちを偲ぶ記念日なのである。

地下鉄「9月4日」駅入り口
 日付が通りの名、メトロの駅の名になっているケースもある。「9月4日」がそれだ。この地名は全国各地にあるようだが、特に有名なのはパリのl'Avenue de l'Opéraと交わるrue du Quatre-Septembre。メトロでは3号線(Pont de Levallois-BéconとGallieniを結ぶ)でOpéraとBourseの間の駅le Quatre-Septembre。この9月4日の由来は何か?実は1870年9月4日の事件にさかのぼる。
 普仏戦争(プロイセン、後のドイツ帝国と第二帝政時代のフランスとが戦った)の末期、Sedan(ベルギーとの国境に近いアルデンヌ県の町)の戦いで皇帝NapoléonⅢがプロイセン軍に捕らわれてしまう。その知らせを受けたパリの民衆は武装蜂起し、市庁舎において帝政を廃し、共和政を布くことを宣言して、ここに臨時政府いわゆる国防政府gouvernement de la Défense nationaleが成立した。いわゆるJournée révolutionnaire du 4 septembre 1870 「1870年9月4日革命の日」である。このあと紆余曲折があった(その中には先月紹介したパリ・コミューヌの悲劇も含まれている)が、結局はこうした高価な血の代償を払った末に第三共和政la Troisième République が誕生したことは否めない。その意味では、1870年9月4日は今日の共和国フランスがスタートする記念日となったわけである。これを地名に取りいれる市・町・村(地方自治体)communeが多いのも当然だろう。

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