朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
「試験」に見る日仏文化の比較 2012.9エッセイ・リストbacknext

マークシート解答用紙
 前回、日本の試験では入試でも公務員試験でも仏検でも、何よりも採点の公平性が重視されると書いた。その試験制度を支えているのはOMR、すなわちOptical Mark Reader「光学的マーク読み取り機」である。答案がどんなに大量でも、マークシートの解答用紙さえそろっていれば、採点は公平かつ迅速に実施される。その意味では、こんなに便利な機械はない。ところが、今度、フランスのバカロレアと日本の大学入試センター試験の設問を比較してみて、両者の違いにびっくりした。その一例をここに示そうと思う。
 今年のセンター試験から「政治・経済」の第3問を例に引こう。「ある大学で経済学を専攻する学生2人の会話の一部」が紹介され、それに基づく問いに答えよ、という問題である。ただし専門的な会話ではなく、春休みにヨーロッパ旅行を計画しているという学生が「だから、最近、為替相場の変動、とくにユーロの動きには無関心ではいられないよ」という程度の話にすぎない。その「為替相場の変動」に下線が引いてあるのだが、問1はこうなっている。「下線部によって、輸出企業の売上げが影響を受けることがある。1ユーロ=131円であるとき、日本のある電気機械の企業が自社製品をユーロ圏で販売し、2億ユーロの売上げがあった。その半年後に1ユーロ=111円になったとき、この企業が同じ数量の同じ製品をユーロ圏で販売し、相変わらず2億ユーロの売上げがあったとすれば、円に換算した売上げはどのくらい増加または減少するか、正しいものを、次の(1)~(4)のうちから一つ選べ」。受験生がマークすべき選択肢は以下のとおり。
 (1)20億円増加する (2)40億円増加する (3)20億円減少する (4)40億円減少する
 そもそも「為替相場」になじみのない日本の高校生相手の出題だから、レヴェルは幼稚でも仕方ない。せめて金額を算出させるならまだしも、選択肢の一つをマークさせるだけ、結果として実に瑣末な問題になり下がってしまった。その後も、設問の対象になる下線部は「経済統合」「リーマン・ショック」や「バブル経済」など、つまるところ、受験生が経済関連の時事的な知識を持っているかどうか、問いただすことにとどまっている。
 この「政治・経済」という科目を選んだ場合、全体は5問あり、今とりあげた「現代の国際経済とバブル崩壊後の日本経済」に関する問題のほか、「日本の政治と地方自治」「企業と経済学説」「基本的人権と司法」「国際組織」がテーマになっていて、さまざまな視点から日本の現代をカバーする問題文を通読しなければならない。それには全体として総合的な知識と理解力が必要になる。しかし、結局はマークシートの解答だから、知識の正確さをチェックすることしかできない。しかも、「政治・経済」1科目選択の場合、所要時間は60分、その間に総計38箇所の解答欄にマークするわけだから、熟考する余裕はない。考えこむようではダメというわけ。
 フランスの場合はどうだろうか。前回3〜4時間という試験時間の長さに目を見張ったが、内容もそれにふさわしく本格的である。4題から一つ選ぶのだが、今年度もっとも難しそうな論文形式の課題はAccumulation du capital peut-elle être source de croissance? 「資本の蓄積は経済成長の原因になりうるか?」である。参考資料がグラフもふくめ6点用意され、それを頼りに論述すればいい。とはいえ、経済学の基本に真正面から立ち向かった課題であって、時事問題の常識テストの域を出ない日本の出題との隔たりはあまりにも大きい。思えば、出題者の立地点がまるっきり違っている。正答は一つでなければならないという解答方式の制約がいつの間にか出題者の視野をせばめ、受験生の素質を探るどころか、無難で瑣末で愚劣な質問に向かわせてしまった。日本の受験生は、この形式に習熟するうち、どんどん小粒で独創性のない、つまらぬ「秀才」になっていく。
 

デヴィッド・リカード
フランスでも取りつきやすそうなのもある。Echange international et croissance, David Ricardo「国際交易と成長、デヴィッド・リカード」がそれで、これには2種類の参考資料がつけてある。1は著名な英国の学者Ricardoの著書からの引用で、自由貿易制度の下では、自国の資本と労働力を自国に有利な方面に注入するのが自然だ、ポルトガルやフランスはワインを生産し、その代金で英国お得意の道具類を購入する、という理論が展開される。2は別の著書から「古典経済学はdes échanges commerciaux internationaux portant sur des produits issus de branches différentes(commerce interbranche)《異部門の産品の交易(異部門間通商)》の利点を強調したが、現在の世界貿易の大部分はun commerce intrabranche(同部門間通商)にすぎない」という反論を引いている。
 受験生はこの後に段階的に設けられた小問題に答える形式である。
 ▷設問1)A l'aide de vos connaissances et du document 1, vous expliquerez la théorie des avantages comparatifs de David Ricardo.「あなたの知識と参考資料1の助けを借りて、D.リカードの比較的生産費説を説明しなさい」
 「個々の知識を借りて」とあるところに明らかなように、参考資料を援用するにしても、「説明」の過程で個人差がでることが前提になっている。むしろその差が出るところに出題者は期待を持っているのだろう。配点は9で、3問中もっとも比重が大きい。
 ▷設問2)Expliquez le passage souligné (document 1) 「参考資料1の下線部を説明しなさい」参考資料では la recherche de son avantage propre s'accorde admirablement avec le bien universel「自国固有の長所の追求は世界全体の利益に見事に合致する」という箇所に下線が付されている。下線で問題箇所を限定するところまでは日本の場合と同じだけれど、下線部が長く、日本の場合のように既成概念や固有名詞ではなく、それ自体一つの主張を含んでいる点が異なる。ましてや、自分の言葉で「説明せよ」とある以上、答の正誤のみにこだわり論理展開の過程を無視する日本との違いは決定的だろう。配点は5でもっとも低い。それだけ、ばらつきが少ない設問という判断なのだろう。
 ▷設問3)En quoi les évolutions de l'échange international infirment-elles la théorie de David Ricardo?(document 2)「国際交易の進展によりD.リカードの理論はいかなる点で弱体化しているか(参考資料2)」配点は6。
 この出題の裏には自由貿易の理念を否定する世界経済の憂うべき現実がある。この出題には、常識試験ではなく、経済学者が直面する問題に若い受験生にも向き合ってほしい、そんな願望がこめられている。OMR方式に合わせようとする日本の出題の凡庸さ、ひ弱さとの差、ここに、現代日本の教育荒廃の一因があると思うが、どうだろう。
 
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