朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
ヨーロッパの将来(続) 2013.9エッセイ・リストbacknext

サンクトペテルブルクのG20
photo:www.kremlin.ru 
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 前回、ヴァレリーのヨーロッパ中心主義を指摘するにあたって、「億面もない」と書いたが、おりしもロシアのサンクトペテルブルクSaint-Pétersbourgで開かれているGroupe des vingt (G20)の参加国pays et organizations membresを見るにつけて、そう書いたのも当然だったと思う。Wikipédiaに従い地域régions別にその名を上げると、こうなる。

Afrique アフリカ Afrique du Sud 南アフリカ

Amérique du Nord
北米


Canadaカナダ
Mexiqueメキシコ
Etats-Unis 合衆国


Amérique du Sud
南米

Argentineアルゼンチン
Brésilブラジル


Asie  アジア


Chine 中国
Japon 日本
Corée du Sud 韓国
Inde インド
Indonésie インドネシア
Arabie saoudite サウジアラビア Russie ロシア
Turquie トルコ


Europe
ヨーロッパ


Union européenne 欧州連合
France フランス
Allemagne ドイツ
Italie イタリア
Royaume-Uni イギリス


Océanie 大洋州

Australie オーストラリア

Le G20 représente 85 % du commerce mondail, les deux tiers de la population mondiale et plus de 90 % du produit mondial brut(somme des PIB de tous les pays du monde).
「G20の比重は世界貿易の85%、世界人口の3分の2、世界総生産(全世界各国の国内総生産の総額)の90%以上に相当する。」
 参加国は世界中に拡散し、世界経済をほぼカヴァーしている。いいかえれば、ヨーロッパは一部にすぎないが、これは21世紀を生きるわれわれの世界認識の前提であり、常識であって、今さら国名をあげるまでもない、という読者も多かろう。ところが、「精神の危機」を書いたヴァレリーにとっては常識どころではなかった。国際連合Organisation des Nations Unies([英]United Nations, 1945年結成)はおろか、国際連盟Société des Nations ([英]League of Nations, 1920年結成)さえ知らぬ彼にとって、世界を動かすのはヨーロッパであり、彼の祖国フランスはその中心にいるという認識だったことを見逃すまい。
 一つの興味深い証拠が1931年に書いたAvant-Propos「序言」(後の論集Regards sur le monde actuel 『現代世界考察』の「まえおき」)の中に見つかる。19世紀末に起こった日清戦争と米西戦争についての感想で、ヴァレリーの文明論の出発点にあたる。両戦争は遠い辺境で起こった、自分には無縁の些事だと思ったというところから始まる。
 Je ne sais pourquoi les entreprises du Japon contre la Chine et des Etats-Unis contre l’Espagne qui se suivirent d’assez près, me firent, dans leur temps, une impression particulière. Ce ne furent que des conflits très restreints où ne s’engagèrent que des forces de médiocre importance ; et je n’avais, quant à moi, nul motif de m’intéresser à ces choses lointaines, auxquelles rien dans mes occupations ni dans mes soucis ordinaires ne me disposait à être sensible.
 「どういうわけか、かなり接近する形で継起した、中国に対する日本、スペインに対するアメリカの侵略行為がその当時(1895年と1889年という原注あり)わたしに特別な印象を与えた。それはごく限定的な紛争にすぎず、小規模の兵力同士の交戦にすぎなかった。それでわたしとしては、そんな遠方の事件にかかわる動機は皆無であり、自分の通常の仕事や関心のなかにそれらに感応するように促すものは何もなかった。」
 日本、とりわけアメリカの国際的な地位がいかにも低く査定されていて、今日のG20の勢力図とは呆れるほどかけ離れている。しかし、それだけになおのこと、この「些事」から歴史的な意義をひきだそうとする後半の展開が興味をそそる。
 Je ressentis toutefois ces événements distincts non comme des accidents ou des phénomènes limités, mais comme des symptômes ou des prémisses, comme des faits significatifs dont la signification passait de l’importance intrinsèque et la portée apparente. L’un était le premier acte de puissance d’une nation asiatique réformée et équipée à l’européenne ; l’autre, le premier acte de puissance d’une nation déduite et comme développée de l’Europe, contre une nation européenne.

世界の中心はヨーロッパにはない?(9月6日付朝日新聞より)
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 「しかしながら、わたしは、これらそれぞれ独自の出来事を偶発事や狭い範囲の現象としてではなく、兆候ないしは前提として、意義深い事実として強く感じ取った。その意義が固有の重要性や見かけの影響力をはるかに超えていたからである。前者はヨーロッパ風に改革され装備された一アジア国民の最初の軍事行動であり、後者はヨーロッパから引き出され、いわばその発展形態たる一国民による、ヨーロッパの一国民に対する最初の軍事行動であった。」
 問題の「精神の危機」、それは「ヨーロッパ精神の危機」といいかえてもいいのだが、この文章が欧州大戦直後に書かれたことを想起しよう。第一次世界大戦には日本もアメリカも参戦し、ドイツを討つために英仏に加勢した。ヴァレリーの中で、19世紀末以来のヨーロッパ中心主義の視点に変わりはないが、大戦の影響がないはずはない。この誇り高い思想家が戦禍をどう受けとめ、未来に生かそうとしたか、その検討は次回にゆずろう。

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