朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
マスクからの連想 2020.7エッセイ・リストbacknext

ローン・レンジャー
 Trump大統領を話題からなかなか外せない。そうしたいのは山々だが。彼はマスクの必要性を頑なに否定しつづけていたはずなのに、7月になって急にこんなことを言った。
 I’m all for wearing a coronavirus mask.「コロナ・マスクをするのには大賛成だよ」
 これを受け、Le Figaro紙(7月2日付)はTrump assure qu’il n’aurait « aucun problème » à porter un masque.「トランプはマスクをすることになんら<問題なし>、と断言」と報じた。平気で意見をころころ変える男の癖がまた出た、と言えるが、裏を返せば、コロナ感染者が増え続けるアメリカの現状をさすがの彼も無視できなくなったことにもなる。哀れ!再選のために妥協したのか?ところが、その後に次の文句を用意していた。自分のマスク姿を想像して、こう言い放ったのだ。
 I look like the Lone Ranger. 「ローン・レンジャーみたいなものさ」
 大統領として北朝鮮に対してCaptain Amerikaを気取ったことは前に取り上げた(2017年9月号)。今度はローン・レンジャーというわけだが、こちらは1950年代の人気テレビドラマの主人公、日本にも輸入され、アメリカ版鞍馬天狗として流行った。1946年生まれのドナルド少年も画面にくぎ付けになっていたのだろう。たしかにトレードマークは黒マスクであったが、あくまでも目を隠す仮面であって、口の周りはむき出しだった。しかし、そんな些事は消え失せ、このエゴチストの意識に残ったのは、仮面と疾駆する白馬のかっこよさだけだった。この連想の主がアメリカ合衆国大統領なのだから、暗然とする。
 その気分をひきずったまま、手術のため、さる眼科医に出向いた。待合室では例によってテレビの放映がある。ところが、手術室まえの廊下では音量をおとしたピアノの音が流れていた。耳をすますと、Claude DebussyのClair de lune「月の光」。患者の緊張をほぐすには打ってつけの選曲である。ほどなく医師の前に呼び出されて最後までは聞けなかったが、元来はPaul Verlaineの詩集Fêtes galantes『艶めくうたげ』中の同名の詩篇に寄せた歌曲だった。問題の詩は数年前ある授業で教材にした。今のコロナ騒ぎの中で思い返すと、そこにもmasqueが出てきていた。以下に引く。

 Votre âme est un paysage choisi
 Que vont charmant masques et bergamasques
 Jouant du luth et dansant et quasi
 Tristes sous leurs déguisements fantasques.

 Tout en chantant sur le mode mineur
 L’amour vainqueur et la vie opportune
 Ils n’ont pas l’air de croire à leur bonheur
 Et leur chanson se mêle au clair de lune,

 Au calme clair de lune triste et beau,
 Qui fait rêver les oiseaux dans les arbres
 Et sangloter d’extase les jets d’eau,
  Les grands jets d’eau sveltes parmi les marbres

  「月の魂は、えり抜いた一つの風景
 とりどりのマスク ベルガマスクが 幻の国に惹きこむように
 リュートを奏で 踊りを踊り ファンタスチックな
 仮装の下で ほのぼのと悲しく過ぎて行く
 
 勝ち誇る愛 時宜をえた人生を
 わびしい短調で歌いながら
 自分らの幸せを信じている様子でもなく
 彼らの歌は 月の光にとけて行く

 木の間の鳥を夢みさせ
 大理石の像のさなかに しなやかに
 噴水を 恍惚としのび泣かせて
 悲しくも美しい 穏やかな月の光に」(橋本一明訳)

アルレッキーノ
 数ある邦訳の中から橋本訳を引いたが、1節目2行目「マスク ベルガマスク」のところには注釈がいる。同じmasqueを脚韻とする2語を並べたところがこの詩篇のさわりで、音からもイメージからも、月光に照らされる幻想世界を呼び覚ますキーになっている。ところで、bergamasqueとは何か?
 北イタリア、ロンバルデイア州のベルガモBergamo([仏]Bergame)といえば、先日コロナ禍をうけ、大量の棺で教会が満杯になったというニュースで有名になった古都だが、この町の住民などをさす形容詞・名詞(イタリア語のbergamascoの援用)で、ここは名詞だ。
 Danse populaire originaire de Bergame, que l’on rencontre aux XV1e,XVIIe et XVIIIe s. (Exécutée sur un rythme à 2/4, elle se déroule en deux figures alternées : évolution en sens inverse d’un cercle d’hommes et d’un cercle de femmes, suivie d’une danse par couples...) (Grand dictionnaire encyclopédique Larousse)
 「ベルガモ起源の民俗舞踊で、16,17,18世紀に行われた。 (4分の2拍子のリズムで、代わり番こに2フィギュアを描くように進む。男性の輪と女性の輪が逆方向に動き、その後、2人1組の踊りがつづく)」
 ここで見逃せないのは、ベルガモはヴェネチア風の仮面で有名なコンメデイア・デッラルテの発祥の地とされていること。この詩でも「ファンタスチックな仮装の下で」とあるようにこのダンスが仮面をつけて行われる様子が思い描かれている。
 異質な二つの世界、ヴェルレーヌ=ドビュッシーとローン・レンジャーとをつなぐのは「マスク」だが、どちらの場合も仮装の道具であることをあらためて思い知らされる。これが西欧世界に昔から根付いたイメージなのだ。最新のニュースはトランプ大統領がマスクをつけて公衆の面前に現れたと伝えているが、衛生的効用というより政治的効果を狙ったジェスチャーとしか思えない。「アベノマスク」の二の舞にならぬといいが。

 
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