朝比奈 誼先生のフランス語にまつわる素敵なお話




セ・サンパ
感じいい!親切!ちょっと贅沢!「セ・サンパ」とパリジャンは表現します。そんなサンパなパリを、ほぼ毎週更新でご紹介しています。
 
ランボーの詩を読む(2) 2021.9エッセイ・リストbacknext

「船曳き」A 河川、運河の場合。B 港の埠頭の場合。 (20世紀ラルース百科事典より)
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 ひきつづき、奥本訳をベースにして、詩を読む時の注意点を洗いだしてみよう。今回はLe Bateau îvre 「忘我の船」の1節目(全部で100行、4行ずつ25節に分れている)をとりあげる。  

 Comme je descendais des Fleuves impassibles,
 Je ne me sentis plus guidé par les haleurs :
 De Peaux-Rouges criards les avaient pris pour cibles
 Les ayant cloués nus aux poteaux de couleurs.

 アレクサンドラン(12音綴の詩句)。それが女性韻(impassibles,cibles)と男性韻(haleurs, couleurs)を交差させる形でquatrain「4行詩[節]」に仕立ててある。その意味では、フランス古典主義を代表するRacineにも通じる「正調」の韻文詩であるが、それは形だけのこと。実は、「正確な意味が不明な詩句、辞書に出ていない語」と奥本氏が慨嘆する難解さをかかえており、Une saison en enfer 『地獄の一季節』のような、いわゆる「後期詩篇」と変わりがない。
 それを踏まえていうのだが、完璧な訳詩は望めぬにしても、前段階として、詩句の意味に肉薄することはできる。上の4行については、どんな点に注意すればよいのだろうか。
 まず動詞の問題。ここでもまた、文法の基礎知識がものをいう。1,2行目は<comme「直説法半過去」、主節で「単純過去」>という構成。これはよく見かける形だが、奥本氏は抜かりなく、前半は「過去進行形」(言いかえれば、継続的動作)、後半は「突発的に起きたことを述べる時制」の対比であることを指摘したうえで、こう訳している。
「無感動の河を流れ下っている間(ま)に、
 気がつくともう、船曳きどもに導かれている感覚も失せていた。」
  (3,4行目の訳は後にまわす)
「気づくともう」というあたりに、単純過去のもつ「瞬間性」が強調されていることを見逃すまい。
 余談だが、この場合のcommeは「時」を表すものの、quandに代えることはできない(朝倉季雄「新フランス語文法事典」)。仏作文の際に、用心しよう。
 つぎは、名詞と形容詞の組合せの問題。奥本訳ではFleuves impassiblesは「無感動の河」と訳されているが、そもそもimpassibleはQui n’épreuve ou ne trahit aucune émotion, aucun sentiment「どんな感動も、どんな感情も感じない、または示さない」(Le Robert méthodique)と説明される形容詞であり、人間を修飾する語である以上、この結び付け方では謎が残る。かといって、金子光晴のように「ひろびろとして、なんの手ごたえもない大河」と訳すと、訳の上では辻褄があうようだが、impassibleの原意とは隔たってしまう。この窮状をどう打開したものか。
 奥本氏はランボーの生涯(正しくは、詩作を断つまでの前半生)をたどろうとする著書の特性を生かして、作品がどんな状況で、何を目指して生まれたかを明らかにしてから読解に移る、という手順を踏む。問題のimpassibleについても、その背景が何か、行き届いた説明が事前にしてある。
  端的な証拠は、「当時最も勢力のあった高踏派の大物詩人Théodore de Bainvilleテオドール・ド・バンヴィル」に宛てて、生地Charleville(ベルギーとの国境に近い辺境の小都市)から書き送った手紙(1870年5月24日付)だ。原文のあとに、達意の奥本訳を添える。
  Cher Maître,
Nous sommes aux mois d’amour ; j’ai dix-sept ans. L’âge des espérances et des chimères, comme on dit, --- et voici que je me suis mis, enfant touché par le doigt de la Muse,
---pardon si c’est banal, ---à dire mes bonnes croyances, mes espérances, mes sensations, toutes ces choses des poètes ---moi, j’appelle cela du printemps.

 「先生、
 今や恋の季節です。世間で言う、希望と妄想に満ちた年頃で、ミューズの指に触れられた子供である僕は、---こんな月並な言い方をお許しください---今や自分の信念とか、様々な希望、感覚など、つまり、詩人の領分の何もかもを---それを僕は青春と呼ぶのですが---語り始めたところです。」
 面識のない大先生を相手に自己紹介を試みたわけだが、呆れたことに、この不敵な前置きにつづけて、臆面もなく、ゴマすりをはじめる。詩人として世に出たい一心なのだ。
 Que si je vous envoie quelques-uns de ces vers, <...>c’est que j’aime tous les poètes, tous bons Parnassiens, ... puisque le poète est un Parnassien, ...épris de la beauté idéale ; c’est que j’aime en vous, bien naïvement, un descendant de Ronsard, un frère de nos maîtres de 1830, un vrai romantique, un vrai poète. Voilà pourquoi.<...>
 Dans deux ans, dans un an peut-être, je serai à Paris.
 「僕がこれらの詩篇のいくつかを、先生の元に送らせていただくのも、(中略)僕がすべての詩人たち、理想の美の追求に夢中になっている、すべての善き「高踏派」の詩人を愛すればこそ、なのです---なぜなら詩人とはとりもなおさず「高踏派」のことだからです。僕が先生のうちに、きわめて素直に、ロンサールの末裔、一八三〇年代の巨匠たちの兄弟、真のロマン派、真の詩人を認め、敬愛申し上げているゆえんなのです。以上が詩をお送りする理由です。
 二年か、いや、たぶん一年すれば、僕はパリに行きます。」
 Parnassien「高踏派」について一言。そもそもParnasseはギリシアのパルナソス山のこと、アポロに捧げられ、ミューズ(詩の女神)が住むとされていた。Parnassienはそこから派生した。

テオドール・ド・バンヴィル ※画像をクリックで拡大
 さて、前世代にあって活躍したロマン派詩人たちは自由な自己表現を貴ぶあまり、とかくconfidence sentimentale「感傷的な打ち明け話」に堕することが多かった。高踏派はそれを嫌い、perfection formelle「形式的な完璧さ」、objectivité quasi scientifique「なかば科学的な客観性」を追及した、と文学史の教科書は説明する。奥本氏はこれをかみ砕いて「パルナシアンとは何かといえば、人間(じんかん)を離れて孤高を好み、神々のようにパルナソスの山に住む境地を理想とする詩人たちのことである」という。その上で、訳文を補強する形で、「<無感動impassible>とは、熱い”感動“のロマン主義はもう古びたという、高踏派のいわばスローガンである」と結論する。
 因みに、ランボーが文中で「一八三〇年代の巨匠」というのは、Victor Hugo, Alfled de Mussetら、いわゆるロマン派詩人を指す。とすれば、名宛人にとっては「兄弟」であるどころか、目の敵でしかない。ランボーはそれを百も承知で、いけしゃあしゃあと、あなたこそ「真のロマン派」「真の詩人」であると持ち上げたことになる。驚くべき強心臓ではないか。
 ただ、驚くのはまだ早い。というのも、彼は1年後にパリに行き、バンヴィルらの前で「忘我の船」を朗読してみせた。問題の「無感動の河」は、その最初の1行に出てくることを忘れまい。奥本氏は介入をつづけ、「パリの奴ら、つまり詩人連を驚かす」ことを考えた、として次のように解釈する---「詩人的感性を持つ人間から見て、何事にも感動というもののない、いわゆる世間、ぐらいに、普通は取れるかもしれないが、ここでは特に「高踏派」の詩の世界のことであろう。」そして、さらに「<忘我の船>である自分は、その高踏派の主導をも、すでに脱した」と主張しているのだ、と。
 「無感動の河」に気をとられているうちに紙面が尽きた。説明のつづきは、次回にゆずるとしよう。


 
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