1、 パリへ留学時代に光に関心を持たれたそうですが、具体的に「光」の美しさを感じたスポットはありますか?それは、どんな観点からですか?
照明デザインに関心を持ったのは、大学院時代にパリのデザイン学校に1年間留学した際、実地研修したことがきっかけでした。後にそこで働くことになったライト・シーブル社だったのですが、「都市や建築に物語を作るのが光」という代表デザイナーの考えに刺激を受けたのです。
また、パリにいると自然にその光の多様性と質に目を向けるようになりました。「光の街(ヴィル・ド・ルミエール)」という、哲学的思想を背景にした異名を持つことでも知られますが、パリの夜景の美しさは誰もが認めるところです。それは偶然ではなく、地区や歴史的背景に基づき、光の色も輝きも吟味され時には美しさを優先してパリ市当局に保護されているのです。一見古そうに見えるランタンも、実は中に最新の光源が仕組まれたりしているからなのです。
学生の頃、注意してパリの街角の光を観察するようになってから、その細かい工夫 が次々と目に入ってくるようになり、照明が幅広い、意味深い一つの表現手段だということに気付かされたのです。
2、 照明デザインのお仕事を始めるにあたり、アメリカでの研修の後、照明デザイナーであるお母様・石井幹子のデザイン事務所に入られましたが、お母様の会社で働くことに躊躇はありませんでしたか?
他の新入社員と同じように玄関の掃除から始めました。3年間アシスタントとして照明の基礎を学びました。
照明デザインは、30年ほどの歴史しかない新しい分野ですから、基礎から教えてくれる学校は世界的にみても殆どなく、日本やフランスでは一部のデザイン学校で科目の一つとして取り入れている程度です。だから、必要な知識は現場で学んでいくしかないのです。電気、物理、幾何学的な緻密な計画や計算、技術的な制約がたくさんあり、それに加えて専門用語も多いので、毎晩遅くまで仕事をし、土日も宿題を持ち帰って勉強付けの毎日でした。
3、 その後、パリへ「ライト・シーブル社」への転職のきっかけは?
ある程度経験と技術を身につけたら、「光の街(ヴィル・ド・ルミエール)」パリで幅の広い仕事がしたいと思うのは当然の経緯でした。パリは世界的にも照明デザインが進んでいる街。モニュメントのリニューアルには、必ずと言っていい程チームに照明デザイナーが加わります。
学生時代研修をしたライト・シーブル社の代表は、いつでも戻ってきていい、と言ってくれていましたが、いざ就労ビザを取ろうと思うと、ことの他大変でした。ただでさえ失業率の高いフランスで、フランス人を差し置いて外国人を雇うのですから、その人がどんなに優秀で、フランスにとって必要な人材なのかを証明し、当局を納得させなければなりません。それでも、申請をはじめて1年後に晴れてビザを取得でき、1999年、パリへ出発したのでした。 |
【パリの光メモ】
■パリ・イルミヌ・パリ
Paris Illumine Paris
パリ市、商工会議所などが協催する、年末年始のパリ市内50ケ所のイルミネーション。1月中旬まで開催。
Place Victor Hugo (16eme)
石井リーサ明理さんデザイン
他2ケ所、
Avenue Montaigne (8eme)
Viaduc des Arts (12eme)
■パリのおもなライトアップみどころ
パリの照明それぞれ名所ごとに、街灯もポールも違う。「ポン・ヌフ」「ノートル・ダム」「シャンゼリゼ」「ルーブル」などの名前のついた照明器具もある。
(直筆の「パリのおもなライトアップみどころマップ」著書『光に魅せられた私の仕事〜ノートル・ダム ライトアップ プロジェクト』(講談社)より)
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