リュクサンブール美術館にて、「セザンヌとパリ展」が開催されています。 セザンヌが観たパリの街角、イルドフランスの風景、裸婦、静物画、セザンヌと関わりを持った人々の肖像画など、80点余りを紹介する、今秋の注目展覧会です。
<近代絵画史の祖>と称されるセザンヌ(1839~1906)。エクサンプロヴァンスで中学校の級友だった、文豪ゾラに促され、1861年に初めて訪れて以降、セザンヌは頻繁にパリにやって来ることとなりました。
故郷のエクサンプロヴァンスに籠り、静かに制作活動を送ったイメージもありますが、本展は、パリ滞在中のセザンヌ作品を中心に、セザンヌとパリの関係性を探るものとなっています。
セザンヌは伝統と前衛の両スタイルを多角に追究した画家です。
パリのシュイス画塾でピサロ、ギヨーマン、ルノワール、モネらと出会ったことは、セザンヌの作風に大きな影響を与えました。時代の最先端を走った印象派の動きに追随しつつ、もう一方では、絵画史の巨匠、レンブラントやルーベンス、ドラクロワ、また、ミケランジェロやピュジェといったクラシックやバロック彫刻をスケッチし研究していました。
文化の中心「パリ」は、セザンヌにとってもインスピレーションの源でしたが、文学や詩に詠われ、モネ、カイユボット、ドガなどによって描かれた煌びやかなパリは、セザンヌにはむしろ暗く閉ざされた場所と映っていました。歴史的なモニュメントなどには見向きもせず、描いたのは窓から見える屋根や、殺風景な通り。セザンヌのパリはどことなく沈んだ空気が漂います。片や、ジヴェルニー、オヴェール・シュル・オワーズ、ポントワーズ、フォンテーヌブローといった、パリから少し外へ離れたセーヌ流域、イルドフランスの風景画には、 瑞々しい光に満ちた明るい色調が見られ、アトリエを飛び出して屋外で制作をした印象派から刺激を受けたものとなっています。
パリ・コミューン(1871年にパリで起こった労働者階級の革命)や、1872年の息子の誕生、考え方の相違のために印象派から離脱したことなどは、パリから離れ、南仏の故郷へアトリエを構えるきっかけとなっていきました。セザンヌはプロヴァンスへ撤退する前には自己のスタイルを確立していましたが、その後も絶えず追究は続き、特に対象物を幾何学体で捉えようとした手法は、後々フォービスムやキュビスムへ繋がる重要な鍵となりました。意欲的な制作活動を展開したセザンヌを代表する作品は、多くプロヴァンスで生まれています。
1890年頃よりセザンヌ作品は、評論家、画商、収集家などから注目され始めました。評価はパリから流れてくるということもあり、また、サロンや画廊への出展のため、死の前年1905年までパリ上りは続きました。まさに生涯、セザンヌとパリの関係が断たれることはなかったのです。
「Cézanne et Paris」
2012年 2月26日まで
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